1.2 科学技術の智に関わる現代の課題と将来の社会像

現代の地球規模の環境危機ならびに人口構成の危機的状況に対処し、「世界人権宣言」に盛られた理想的な社会を実現し持続していくためには、自然環境や社会状況を正しく把握し、客観的な判断を下し、個人も社会も協同して現代の課題に挑戦するために、科学技術の智を共有することがすべての人々に求められている。

1.2.1 一人ひとりの尊厳が認められる社会を

私たちが目指す社会は、一人ひとりがかけがえのない構成員として認められ、かつ恐怖と欠乏から解放される社会である。それは、「世界人権宣言」(1948年)[1]において、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義および平和の基礎である」、さらに、「人権の無視および軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論および信仰の自由が受けられ、恐怖および欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言された」とあるように、人類全体の理想としての社会のあり方が提示されたのである。そして、その後60年にわたって、様々な個人、社会、国家、国際機関等がその理想を追求してきたが、それにもかかわらず、世界にはまだ戦争、災害の恐怖があり、先進国では飽食が進んでいるのに対し、毎日多くの人々が飢餓で命を落としているという現実がある。

 

1.2.2 生命の多様性の持続を

一方において、そのような理想を実現するための基盤となる私たちの生存圏自体が危機に直面しつつある。化石燃料のエネルギー利用が大幅に拡大した結果、炭酸ガス排出量が急速に増大し、温室効果による大気の温暖化を招き、深刻な気候変動を招来しかねない危機に瀕しているからである。温暖化によって海水面の上昇がすでに始まっており、いくつかの島々が水没の危機に瀕している[2]

人類が莫大な数の生物種と共有している生命圏は、地球の表層のほんの狭い場所にすぎず、これまで思ってもいなかったほど、環境の変化に対して脆弱であることが判明しつつある。みずから招いた危機ではあるが、人類を含めた多様な生物の生存を持続させるための智慧を持つ必要性が、今ほど求められているときはない。

その危機感に立って、平成9年(1997年)の京都議定書[3]は温暖化ガス排出量規制の目標を定めた国際条約として画期的なものであった。20世紀における科学の大きな変容の必要性は、平成11年(1999年)にユネスコと国際科学会議の共催で開催された「世界科学会議」[4]において議論され、「科学と科学的知識の利用に関する宣言」としてまとめられた。そこで「知識のための科学、進歩のための知識」、「平和のための科学」、「開発のための科学」、「社会における科学、社会のための科学」として、新たに科学が広く世界のためにコミットすべきであるとされた。

その後もわが国においては、日本学術会議は平成19年5月16日にG8サミットに向けて関係各国のアカデミーとの共同声明「成長と責務—持続可能性、エネルギー効率及び気候保全」を発表した。そこでエネルギー需要の拡大が深刻な気候変動を引き起こしているという現状を踏まえ、「我々は、世界のすべての国々に対し、持続可能で効率的な気候に優しいエネルギーシステムのための共通の戦略的目標を確認し、それを実行するよう要望する」と結んでいる。これは、平成17年(2005年)6月8日の共同声明「気候変動に対する世界的対応に関する各国学術会議の共同声明」、平成18年(2006年)6月14日の共同声明「エネルギーの持続可能性と安全保障に関する各国共同声明」に続くものである[5]

 

1.2.3 科学技術がもたらす影響の認識を

20世紀前半の量子力学、遺伝学などに始まる近代科学の急速な発展は、自然の構造と歴史、あるいは生命について多くの知見をもたらし、その知見から各種の技術が急速に発達した。その結果、私たちは健康で便利な生活ができるようになった。

その一方で、科学技術の急速な発展と細分化により、一般の市民と科学技術の現場との間に大きな隔たりが生じてきている。日々の生活では科学技術の恩恵に大いに浴しているにもかかわらず、多くの人々が科学技術の内容について知るすべもなく、無関心であったり極端な苦手意識を抱いていたりする。また、科学技術の専門家であっても、自分の専門以外に関しては門外漢たらざるをえなくなっている。

 

1.2.4 科学技術との関わりでみずから判断を

科学技術の発達は、一人ひとりに科学技術に関わる判断を迫っている。医療技術の発達により、高度な治療延命措置や生殖医療が可能となっている。そうした中で、自分の生き方と死に方を一人ひとりが見つめなおし、治療方法をみずから選択していく時代になりつつある。あるいは、食の安全に関しても、開示された情報を基に、みずから判断を下す必要に迫られつつある。

ごく身近な生活においてさえ、科学技術の知識と応用が求められている。しかしながら、科学技術政策研究所の調査(『科学技術に関する意識調査-2001年2~3月調査-』2001)[6]によると、わが国の成人段階の科学技術に関する知識は国際的にみても低い水準にあることが明らかにされている。科学技術の運用や科学技術と社会とのよりよい関係を築く役割を一部の専門家だけに任せておいてよい時代は終わったともいえる。

 

1.2.5 科学技術について学ぶ意義を

日本の若者の多くは、現在、科学技術について学ぶことの意義を見失っており、場合によっては懐疑まで抱いているという実情が浮かび上がっている。経済協力開発機構(OECD)の「生徒の学習到達度調査」(PISA2003、PISA2006)[7]によると、日本の高校1年生は、科学技術や科学技術を学ぶ意義に対する肯定的な意識が他の国々と比較して非常に低い。先端科学技術の恩恵を享受しながらも、科学技術に関わることの意義を見つけられずにいる若者が多いことは問題である。

次代を担う若者たちのそうした現状を鑑みるに、成長過程にある子どもたち自身が充実感を持って未来を切り開ける社会状況を作ることが重要であろう。少子高齢社会が到来する中で、子どもたちの明るい将来のため、また、日本の社会がこれまでに築き上げてきたものを継承していくための施策を探ることが、重要なのではないだろうか。

 

1.2.6 日本の将来像

そこで、私たちが抱く日本の将来像は以下のようなものである。

(1)社会の構成員一人ひとりがかけがえのない存在として認められること。

(2)社会の構成員のすべてが地球という環境を慈しみつつ持続可能な社会を実現するための叡智を共有して活動を起こせること。

(3)社会のあり方として、若者が将来への希望を抱きつつ文化を継承していけるシステムが有効に稼働していること。

このプロジェクトでは、これまで人類が獲得してきた智を再点検して、私たちが目指す21世紀の「持続可能な民主的社会」構築のために、どのような知識と智慧を万人が共有すべきかを検討してきた。

 

[1] 外務省「世界人権宣言」1948年12月10日採択、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/

[2] 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)「第4次評価報告書」(2007年11月)

環境省 http://www.env.go.jp/earth/ipcc/4th_rep.html

[3] 「気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書」(略称 気候変動枠組条約京都議定書)(1997年12月11日)

外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty_020413.html

環境省 http://www.env.go.jp/earth/ondanka/cop.html

[4] 世界科学会議「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」(1999年7月1日)

文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/siryo/attach/1298594.htm

[5] 日本学術会議

「成長と責務—持続可能性、エネルギー効率及び気候保全」(2007年5月16日)

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-s4j.pdf

「エネルギーの持続可能性と安全保障に関する各国共同声明」(2006年6月14日)

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-s1j.pdf

「気候変動に対する世界的対応に関する各国学術会議の共同声明」(2005年6月8日)

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-s1027w.pdf

[6] 科学技術政策研究所『科学技術に関する意識調査-2001年2~3月調査-』

NISTEP REPORT No.72、2001年12月、http://www.nistep.go.jp/achiev/results01.html

[7] 国立教育政策研究所編『生きるための知識と技能② OECD生徒の学習到達度調査(PISA) 2003年調査国際結果報告書』ぎょうせい、2004(主たる目標は、数学的リテラシー)

国立教育政策研究所編『生きるための知識と技能③ OECD生徒の学習到達度調査(PISA) 2006年調査国際結果報告書』ぎょうせい、2007(主たる目標は、科学的リテラシー)